松川被告団・家族の闘いに思うこと
[2025年1月/B5/286頁/]
発行=迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会
「寒梅」(同団体発行『無罪』の前身)第92号(1996年3月)から第192号(2004年9月)まで、68回にわたって連載された連載『一筆啓上 松川被告団と家族の闘いに身を重ね合わせて思うこと』の復刻版。
須賀陽子プロフィール:
革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)機関紙『前進』編集長として奮闘。坂本千秋名でいくつもの重要論文を執筆し、等の闘いを牽引した。同時に爆取弾圧当該の家族として、救援運動の先頭で闘いぬいた。2024年4月16日逝去。享年77歳。(本文より抜粋)
松川冤罪事件とは:
1949年(昭和24年)8月17日、午前3時9分ごろ、福島県信夫郡金谷川村(現・福島県福島市松川町金沢)を通過中だった青森発上野行上り列車が突如脱線転覆、機関車の乗務員3名が死亡した事件。下山事件および、三鷹事件に続く鉄道事件として世間の注目を集めた。捜査当局は、当時の大量人員整理に反対した東芝松川工場(現・北芝電気)労働組合と国鉄労働組合(国労)構成員の共同謀議による犯行とみて捜査を行った。(本文より)
1950年(昭和25年)12月6日の福島地方裁判所による一審判決では、被告人20人全員が有罪(うち死刑5人)となった。 (『wikipedia』より)
労働組合が参加す大々的な国民的救援活動が組織されたこと、無実を示すアリバイなど重要な証拠が捜査機関により隠されていたことなどが暴露されたことなどで、死刑判決から5回の裁判を経て逆転無罪を勝ち取る。(本文より)
1963年(昭和38年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告人全員の無罪が確定した。(『wikipedia』より)
目次:
須賀陽子さんの『一筆啓上 松川被告団と家族の闘いに身を重ね合わせて思うこと』発刊にあたって
| 板垣宏
『一筆啓上 松川被告団と家族の闘いに身を重ね合わせて思うこと』
「寒梅」第92号(1996年3月)〜第192号(2004年9月)
| 須賀陽子