仁科芳雄 「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの
[2025年4月/四六判/272頁/]
著=上山明博
発行=青土社
目次:
プロローグ アメリカの疑念
原子爆弾調査団
尋問すべき日本人
ファーマン少佐とモリソン博士
仁科博士に関する調査報告
第1章 欧州への留学
仁科芳雄の生い立ち
迷った末の進路選択
量子論の誕生
憧れの教授の下へ
クライン=仁科の公式
第2章 現代の錬金術
ハイゼンベルクとディラックの来日
仁科の下に参集した湯川と朝永
最年少の主任研究員
世界で2番目のサイクロトロン
第3章 核分裂から原子爆弾へ
核分裂の発見
ウラン核分裂生成物
五年越しの大サイクロトロン
サイクロトロンにノーベル賞
ウラン諮問委員会
第4章 日本の原子爆弾計画
日本の原子爆弾計画の原点
真珠湾攻撃と新兵器
火薬1万8000トンに相当
仁科の名を冠した「ニ号研究」
届かなかったドイツのウラン
第5章 マンハッタン計画
シラードとアインシュタイン
フェルミとオッペンハイマー
暫定委員会とフランクレポート
トルーマンの100万人神話
第6章 原子爆弾の威力
1945年8月6日の広島
米国大統領のラジオ声明
玉木への置き手紙
火薬「2万トン」と「1万8000トン」
「残念ながら原子爆弾に間違いありません」
核開発から核廃絶へ
第7章 原子爆弾調査団の来日
モリソンによる仁科への尋問
テニアン島から届いた手紙
日本の原子爆弾計画最終報告
予算確保と兵役逃れ
第8章 サイクロトロン破壊事件
コンプトン調査団の勧告
ワシントンからの指令電報
仁科と米国科学者の抗議
アメリカ軍上層部の対応
被爆国から原発大国へ
第9章 仁科の死
理研の解体と再生
日本人発のノーベル賞
湯川の中間子の照明
仁科の死と病理解剖
第10章 衣鉢を継ぐ者
戦争の放棄と核の廃絶
ソ連の核保有と核の国際管理
ラッセル=アインシュタイン宣言
湯川・朝永宣言
核の軍事利用と平和利用
ウランとプルトニウム
エピローグ 命とひきかえに
広島と長崎の被爆の実相
爆風と熱線と放射線
原爆映画の監修
押収された原爆映画
被害者と加害者の立場を越えて
あとがき 原爆開発と世界平和のあいだで
仁科芳雄年譜
参考ならびに引用文献