はじまりの哲学 アルチュセールとラカン

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[2022年1月/A5/372頁/]
著=伊吹浩一
発行=社会評論社


目次:
[序]はじまりは困難である

第1章 模範的読み方 -マルクス主義と精神分析との出会い
読むことの宗教的神話と手を切ること
イデオロギーから科学へ
精神分析を襲う諸困難
エピステモロジーの科学観-実在論の失墜、理論の優越
ラカン自身による精神分析の科学化
マルクスとフロイトとの哲学的類似性
マルクスにおける闘争-剰余価値と階級闘争の「発見」
理論的反人間主義

第2章 イデオロギーと行為
はじめに行為ありき
身体イメージとしての身体
自我理想
一の印
パロール-確信の到来
デカルトとフロイト
無意識の主体
行為の反復とシニフィアンの連鎖の遡及的効果
後方転移の結果としての主体の自己同一性
無意味なシニフィアンへの執着

第3章 イデオロギーと身体
リビドー的身体
欲動と本能
欲動概念の変遷
身体のリビドー化
対象aを内包する身体
反復強迫と死の欲動
すべての欲動は死の欲動である
なぜ行為は反復されるのか
剰余享楽としての幻想
不安
不安と道徳法則に対する尊敬
まなざし

昇華
反復と偶然

第4章 国家と国家イデオロギー -国家とは支配階級の道具である
国家とは何か
法と抑圧装置
法的イデオロギーと道徳的イデオロギー
国家のイデオロギー諸装置
抑圧装置とイデオロギー諸装置との相互補完関係
自由な主体
自由のパラドックス
〈他者〉の〈他者〉は存在しない
〈他者〉の〈他者〉は主体である
超越論的主体と対象a
自由というイデオロギー
国家のイデオロギー諸装置の脆弱性

第5章 理論と実践をめぐって
理論実践としての哲学
科学主義というイデオロギー
政治としての哲学
イデオロギーは外部を持たず、また外部でしかない
哲学的テーゼは独断的命題である
シニカルな主体
信念
イデオロギーは実践に宿る
イデオロギーの執拗さ-欲望の原因としての対象a
何も考えずに行為せよ
具体的状況の具体的分析

第6章 いま、ここにあるコミュニズム
アルチュセールの共産主義像
パリ・コミューンと六八年〈五月革命〉
祝祭と供儀
死の禁忌
道具-内在性の拒否
言葉は物の殺害である-否定する力
俗なる世界の成立-性的なものの禁忌
聖なるもの-禁止と侵犯
贈与
至高の瞬間
資本主義的欲望を超える欲望
大衆蜂起の時代
世界を変容させる「対テロ戦争」-戦争の常態化
防衛からセキュリティへ
軍事革命(RMA)
労働の変容-非物質的労働の登場
〈共コモン〉とは何か
四つの鎖につながれた主体
反転の好機
〈共〉の創出としてのコミュニズム

終章 はじめから、はじめねばならない

 

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