脱近代の自由 いまそこにある自由をつかめ

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[2021年12月/四六判/304頁/]
編=大窪 一志 発行=同時代社


目次:
はじめに

序 章  脱近代の自由を求めて

近代の終焉を迎えて
ギャランティ型公論の終わり
「消極的代替物」と「対抗相補性」
ソ連崩壊後の世界の変貌
底にあるメディアの変貌
N:Nの時代
個別の利害=関心と集団的インタレストの形成
近代精神のキアズマス、近代のめくりかえり
新しい社会形成の萌芽に注目せよ

第一章  権利と自由、法と自由

人権批判の根拠
命題形骸化の三段階
「転校してきた帰国子女」モデル
権利と法の違い
社会権の導入がもたらしたもの
社会権における相互性
原初的な権利・義務関係と権限・責任関係
近代社会の根本的矛盾
内発的権利・義務関係と外発的権利・義務関係
自由権の問題であることを曖昧にするな
内発的権利・義務関係はいかにして形成しうるのか
「責任」には二つある
みずからの生きるかたちをみずから選び取るのが義務である
近代社会原理を内面化できるのは有産者だけ
プロレタリアにはプロレタリアの内発的「権利=義務」感覚がありえた
根本にもどらぬまま「将来という外部」に問題を委ねてしまう構造

第二章  平等と自由、公共と自由

当事者性が蒸発した言論に対する反撥が起こっている
当事者性を取りもどすために
新旧二つの「社会性」「公共性」
レイシズムと平等主義の根は同じである
公共の福祉は内在的制約である
自由をめぐる擡頭と没落、新旧交代の兆候
自由と平等は両立しうるか
「自由で平等な社会」の破綻と大衆社会・大衆国家の登場
未来へ前のめりになっていく態勢の終わり
新自由主義は大衆を蔑視しながら大衆に依存している
没落と擡頭が交錯するとき

第三章  資本と自由、労働と自由

労働の近未来―約半分の職種が消滅する
仕事がなくなるととらえるか、労働しなくていいととらえるか
楽園のパラドックス
完全雇用か、逆奴隷制か、自己雇用か
モティベーションこそが決定的要因になる
「やる気」がすっかりなくなった日本の労働者
日本人の仕事へのエンゲージメントはなぜ低くなったか
成長社会を内面化できなくなった時代
「働いた分だけ報われる」前提は「無限成長」社会
便乗と依存のメンタリティとは
新しい働き方、新しい生き方を創り出すこと
弱者を切り捨てる者も弱者を守る者も弱者を強くしようとしない
自彊に目覚めよ

第四章  人格と自由、固有性と自由

自由な仕事への具体的な途
人間にしかできない仕事
フロネーシスの時代が始まっている
ブラック・リアリティという社会現象
「このメディアにくっつくしかない」というアナクロなリアリティ
悪化スパイラルに陥っているブラック・リアリティ
相互依存しつつ没落していく途と自立した生産者への途
「嫌われ者同士の結婚」現象
「入り口でのくみしやすさ」の落とし穴
普遍的な自由と固有の自由
具体的自由と抽象的自由
可能性の絶望
拘束に向き合うこと、自分自身に向き合うこと
来るべき社会の予示
資本と労働の相互依存関係から脱する
地縁・血縁の実在社会ではなく選択縁の実在社会へ
「量=負担」の時代には「閉じながら開く」
当事者性のありか
資本と労働の新しい関係をめざして
容易に代替できないものをもつ
没落社会との一蓮托生から脱するには
ワーク・ライフ・バランスではなくワーク・イズ・ライフ
楽園のパラドックスをのりこえる自由への途

終 章  ポスト・コロナ社会の自由

旧い民主主義の終わりと新しい自由の始まり
クライシスとイノベーション
全体システムによる自由より個々のイニシアティヴによる自由を
内的自由と外的自由、固有の自由と共通の自由
高等生物型システムの不全
過冷却の水のようになった社会
自分にとって必要なものを見出していく自由
フリーエージェント社会の自由
「生きている」ものと「死んでいる」もの
人格の再生
プレッシャーとブレークスルー
責任を取る権利
ノマドの自由へ

編者あとがき

 

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