マルクスの名言力 パンチラインで読むマルクス入門

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[2023年9月/四六判/296頁/]
著=田上孝一
発行=晶文社


目次:
まえがき

[1]ブルジョア社会では過去が現在を支配し、共産主義社会では現在が過去を支配する。
『共産党宣言』

[2]資本主義的生産様式が支配する社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、個々の商品はその要素形式として現れる。我々の探求はだから、商品の分析と共に始まる。
『資本論』

[3]人間が宗教の中で彼自身の頭の作り物に支配されるように、資本主義的生産の中では彼自身の手の作り物に支配される。
『資本論』

[4]資本主義的生産は、一つの自然史的な必然性を持って、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。これは私的所有を再建しはしないが、恐らくしかし、資本主義時代の成果の基礎の上に個人的所有を再建する。
『資本論』

[5]生産物を彼自身のものとして認識すること、その実現の諸条件からの分離を無法で強制されたものとして判断すること──は、とてつもない意識であり、それ自身資本に基づいた生産様式の生産物であり、しかしそれだからこそその滅亡への弔鐘である。
『経済学批判要綱』

[6]人間というものはいつも自らが解決できる課題しか立てない。というのも、正確に考察されるならばいつでも、課題そのものがその解決の物質的諸条件が既に手許にあるか少なくともそれの生成の過程が進行中であるところにだけ発生していることが常に見い出されるからである。
『経済学批判』

[7]批判の武器はもちろん武器の批判にとって代えることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒されなければならない。しかし理論もまた、それが大衆をつかむや否や、物質的な力となる。『ヘーゲル法哲学批判序説』

[8]私的所有の思想を止揚するためには、考えられた共産主義で全くこと足りる。現実的な私的所有を止揚するためには、現実的な共産主義的行動が必要である。
『経済学・哲学草稿』

[9]哲学者たちは世界を様々に解釈してきただけだが、大切なのはそれを変えることである。
『フォイエルバッハ・テーゼ』

[10]人間の本質は社会的諸関係の総体である。
『フォイエルバッハ・テーゼ』

[11]環境と教育の変化に関する唯物論的教説は、環境が人間によって変えられること、教育者自身が教育されなければいけないことを忘れている。
『フォイエルバッハ・テーゼ』

[12]古い唯物論の立場はブルジョア社会である。新しい唯物論の立場は人間的社会あるいは社会的な人間性である。
『フォイエルバッハ・テーゼ』

[13]人間的自己疎外としての私的所有の積極的止揚としての共産主義、それゆえ人間による人間のための人間的本質の現実的獲得としての共産主義、それだから完全な、意識された、そしてこれまでの発展の全成果の内部で生まれて来た、一つの社会的な、すなわち人間的人間としての自分自身への人間の帰還としての共産主義。
『経済学・哲学草稿』

[14]食べ、飲み、そして産む等々もなるほどまた真正な人間的機能である。しかし、それらを他の人間的活動の範囲から切り離してそれだけを究極にして唯一の最終目的としてしまうような抽象化においては、これらの人間的機能は動物的である。
『経済学・哲学草稿』

[15]人間の解剖はサルの解剖のための鍵である。
『経済学批判要綱』

[16]困難はギリシアの芸術や叙事詩がある種の社会的発展形式に結び付いているのを理解することの内にあるのではない。困難はそれが我々に今なお芸術的享受を与え、そしてある確かな点で規範及び到達できない手本として通用することである。
『経済学批判要綱』

[17]人間は美の法則に従っても形作る。
『経済学・哲学草稿』

[18]共産主義社会の中では画家という者はいなくて、せいぜい何かの時に絵も描く人間がいるだけである。
『ドイツ・イデオロギー』

[19]労働日の短縮が根本条件である。
『資本論』

[20]現実において、そして実践的唯物論者たちすなわち共産主義者たちにとって問題なのは、現存の世界を変革すること、現前の事物を実践的に攻撃し、変えることである。
『ドイツ・イデオロギー』

付録 物件化としての商品化

あとがき

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