[新版]東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争
[2024年4月/四六判/240頁/]
著=中塚 明/井上 勝生/朴 孟洙
発行=高文研
目次:
はじめに-一つの髑髏から日韓共同の歴史の発掘・解明まで
I 日清戦争をめぐる歴史の記憶
日清戦争についての日本人の記憶
日本軍の第一撃がなぜ「朝鮮王宮占領」だったのか
東条英教の『隔壁聴談』
ある大隊長の自殺-歓迎されない日本軍
II 東学農民戦争はどうして起こったのか
「東学」とはなにか
朝鮮への偏見が生んだ東学「邪教」観
朝鮮王朝末期の民衆と欧米の圧力
東学とはどういう思想か
東学のひろまり-潜行した布教から集団的示威運動へ
わきおこる農民の大衆運動
東学農民戦争の展開
III 日本軍最初のジェノサイド作戦
1 朝鮮全土でわき起こった東学農民軍の再蜂起
北と南-東学農民軍の全容をどうとらえるか
日本軍の弱点-兵站線へのゲリラ攻撃
2 川上操六の「悉く殺戮」命令-殲滅作戦の序曲
直ちに実行に移された「命令」
朝鮮の社会通念とは異質の処罰法
3 包囲殲滅作戦と大本営-殲滅大隊への派遣命令
井上馨公使が打った伊藤博文総理への電報
派遣大隊長・南小四郎少佐の閲歴
「二中隊」がなぜ「三中隊」に拡大されたのか
4 連山の戦闘現場-日韓の共同調査から
農民軍のゲリラ戦術に翻弄された南大隊長
場所も日付もすりかえられた日本軍戦死者
戦史から消された東学農民戦争
一瞬で山々を埋めつくした白衣
5 乱発された殲滅命令
軍艦まで派遣した包囲殲滅作戦
日清戦争での最多の「戦死者」は朝鮮人だった
相次いだ殲滅命令と厖大な犠牲者
6 一日本軍兵士の「従軍日誌」から
記録された殺戮の地獄絵図
下士官たちが書き残した殺戮の「愉快」
自殺した二人の将校
東学農民戦争はなぜ黙殺されてきたのか
日本の「強兵」路線が残したもの
IV 東学農民戦争の歴史をあるく
歴史の現場に立つ
ビビンパの一番おいしい街と世界遺産の支石墓
「沙鉢通文」を刻む「東学革命謀議塔」
茂長-東学農民革命発祥の地
黄土峙(ファントゼ)の丘
「無名東学農民軍慰霊塔」の衝撃
参礼の東学農民記念公園
公州を目前にした大激戦地・牛金峙(ウグムチ)
なおつづいた抗戦-連山
「報恩東学の道」
長興-二つの記念碑
羅州-日本軍最後の皆殺し作戦の基地
珍島-「ドクロ」を採取した場所
大山-記録に残る東学農民軍最後の戦い
東学農民革命記念館が語りかけるもの
V 東学農民革命と現代韓国
光州事件のさなか、軍の中にいた私
夜学運動の先頭に立って学んだこと
民主化運動の原点としての東学農民革命
フィールドワークを主体に研究三〇年
「人骨放置事件」から始まった日韓共同研究
草の根レベルの交流の発展
現代に生きる東学の思想「ハンサリム運動」
明日への提言