季報 唯物論研究 157
[2021年11月/A5/254頁/]
特集=創刊40周年記念号 編/発=季報『唯物論研究』刊行会
目次:
松下圭一政治理論と経済軸ー政策の束としての社会構成体 | 米倉克良
特集I 資本主義を超える:21世紀社会主義の思想・運動・組織
特集リード | 田畑稔
労働者組合法を実践にどう生かすのか-労働者観の転換を促す | 田島康利
世界の変革への道筋-社会的連帯経済を地域からつくる | 丸山茂樹
脱成長のポスト資本主義へ-新しい社会構成と運動 | 白川真澄
階級闘争の理論から陣地線の理論へ | 榎原均
生きづらい人々の課題こそ焦点-グローバリズムと現代サバルタン | 柏井宏之
友愛社会主義の探求 | 村岡到
ミクロとマクロからの社会主義的変革の二契機-リスク・決定・責任とマルクスの自由論 | 松尾匡
アメリカ社会民主主義の哲学-「純粋経験」と「取引」 | 永井務
内在的批判としての社会主義-アクセル・ホネット『社会主義の理念』の意義と課題 | 成田大起
特集II 斎藤幸平『人新世の「資本論」』-私はこう読んだ
我が生活圏におけるコモン-産廃処分場新設阻止闘争と関係づけて | 三上晋
運動内部者の微視的感想-かつてNAMに参加した身から | 吉永剛志
自分達の運動と重ねつつ | 津田道夫
「脱成長のコミュニズム」の提唱から脱資本主義の共産主義運動へ | 大石和雄
ウォーラーステイン世界システム論における環境問題意識-斎藤幸平『人新世の「資本論」』との関わりで | 李依妮
交換価値から使用価値へ | 村山章
斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読んでのコメント二つ | 木村倫幸
人新世の科学論-斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読んで | 内藤酬
ヨーロッパ中心主義からの決別 | 和田龍三
マルクス再評価の気運の中で-斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読む | 綾目広治
オールド・マルクスも捨てたもんじゃない | 小野正嗣
斎藤幸平『人新世の「資本論」』を巡って | 徳永裕二
「脱成長コミュニズム」の政治について-斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読む | 細谷実
環境危機への抜本的対応をまざして | 高田純
エコロジー的マルクス主義に関わる最近の論争点-斎藤幸平の問題提起を中心に | 島崎隆
特集III 大藪龍介『マルクス主義理論のパラダイム変換へ-マルクス・エンゲルス・レーニンの国家論の超克』をめぐって
マルクス主義国家論の回顧・再論-大藪龍介『マルクス主義理論のパラダイム変換へ』によせて | 加藤哲郎
議論をどうクロスさせるか-大藪龍介国家論研究を読む | 田畑稔
[yuiken交差点]
上宮法皇と厩戸豊聡耳及び聖徳太子につき-やすい評への反論を兼ねて | 木村勲
156号特集「中間総括:疎外論論争」論評 | 長島功
エッセイ・人生の探求(本誌151号)補記 | 義積弘幸
[書評]
斎藤日出治『資本主義の暴力-現代世界の破局を読む』 | 我孫子誠男
榊原崇仁『福島が沈黙した日-原発事故と甲状腺被ばく』 | 木村倫幸