問いが世界をつくりだす メルロ=ポンティ 曖昧な世界の存在論
[2024年8月/四六判/336頁/]
著=田村正資
発行=青土社
目次:
はじめに 世界は「問い」を待っている
序論 現象学においてなぜ曖昧な世界が問題になるのか
I 未規定性 ここからは見えないティーカップの裏側について
第1章 見ているものと見てはいないもの
第1節 ライプニッツの「実測図」に対するメルロ=ポンティの批判
第2節 ケリーによる「あらゆるところからの眺め」説の検討
第3節 「未規定性」の役割の再考
第2章 経験をつなぎ合わせる未規定性-グールヴィッチとの対比
第1節 グールヴィッチの参照理論
第2節 メルロ=ポンティによるグールヴィッチ批判
第3節 メルロ=ポンティにおける経験の未規定性
第3章 「私たちにとっての即自」という逆説
第1節 超越と内在
第2節 「何ものか」の超越
第3節 「私たち」という内在-バークリとの比較
II 動機付け うまく説明できなくても、うまく振る舞うことはできる
第4章 対面と共存-動機付けられる主体の空間性
第1節 世界との対面-『知覚の現象学』における奥行きの経験
第2節 世界との共存-『感性的世界と表現の世界』における運動の経験
第3節 時間性と空間性
第5章 規範を感じ取る-ウィトゲンシュタインとの対話
第1節 私たちの行為と言語化可能な規則の関係
第2節 規範に対する感覚-「方向付けられた不満足」と「状況付けられた規範性」
第3節 身体化された規範性の在り方-メルロ=ポンティの知覚‐行為論
第4節 規範の感性論から規範の存在論へ
第6章 可能性が配合された現実に取り組む-メルロ=ポンティの行為論の定式化
第1節 前史としてのサール=ドレイファス論争
第2節 ドレイファスのメルロ=ポンティ解釈-意図的行為から区別された没入的対処
第3節 ロムデン=ロムラックのドレイファス批判-全面的な没入的対処の批判と可能的なものへの拡張
第4節 現実的であるとはどのようなことか
第7章 動機付けられた主体は自由でありうるか?
第1節 知覚における「動機付け」-『知覚の現象学』を主な対象として
第2節 「動機付け」論の問題点および自由との関わり
第3節 動機付けと情念
III 試問的様態 問いかけとしての私に応えるように、この曖昧な世界は存在する
第8章 未規定的な世界を把握するとはどういうことか-概念主義論争とのクロスオーバー
第1節 知覚内容は概念的か非概念的か
第2節 学びつつある意識
第3節 「動機付け」と「未規定的なものの地平」
第9章 英雄と悲劇-メルロ=ポンティにおける歴史的偶然性
第1節 『知覚の現象学』における偶然性
第2節 英雄と悲劇
第3節 私と世界の奇妙な関係
第10章 「何ものか」は在る-知覚的信念について
第1節 問いかけと知覚的信念
第2節 知覚的信念
第3節 知覚の存在論的機能
第四節 世界にとって、実在するとはどういうことか
第11章 試問的な様態で存在する世界
第1節 A・J・エイヤーの命題
第2節 問いかけの存在論-試問的様態で存在する世界
第3節 世界の創造としての表現
結論 志向性の探求の果て-未完成な作品としての世界
あとがき