暴動の時代に生きて 山谷 ’68-’86
[2024年10月/四六判/416頁/]
著=中山幸雄
編=上山純二・原口剛
発行=月曜社
目次:
これは過去の記録ではない、未来に託されたメッセージである | 原口剛
前口上としては長くなりますが | 中山幸雄
1 1968 書を捨て一路、山谷へ
広島大学と船本洲治との出会い
山谷へ足を踏み入れて
山谷自立合同労働組合結成、そして10・21新宿へ
都庁乱入事件と山自労からの分裂
2 1969 山自労書記局と全統労の崩壊
「サンヤ大飯店事件」顛末
全統労の崩壊と「現場闘争」の発見
竹中労との決別と裸賊たち
3 1970-71 自己批判と闘いの開始に向けて
「十月工房」の設立
山岡強一との出会い
黒川芳正と『狙撃兵』
「暴動は労働者の自己解放である」
4 1972 S闘委から現闘委の結成へ
鈴木国男の「狂気」と都市人民戦争
鈴木組闘争と『5-6月釜ヶ崎』
悪質業者追放現場闘争委員会(現闘委)の結成
現闘委第一次弾圧、釜ヶ崎との連帯
5 1973 山谷第一回越冬闘争
山谷第一回越冬闘争
山谷に関わる新左翼党派
『釜ヶ崎反入管通信』-労務者として
6 1973 新井技建闘争と現闘委関東工作隊
現闘委関東工作隊と『旅友』
現闘委関東工作隊(ババ班)と「さそり」
船本との最後の一夜、広島への帰還
【資料】未来を獲得するために-総括の一視点(案) | 山岡強一/中山幸雄
7 1974 船本洲治の死
塩島組闘争、そして現闘委の分岐
三菱重工爆破の衝撃と現場の混迷
五・一九弾圧と船本洲治の焼身決起
船本洲治の「イショ」をめぐって
大阪拘置所での鈴木国男虐殺
【資料】いま抱きしめたい二人 | 中山幸雄
8 1979 新たな闘いの始まり
磯江洋一と「6・9闘争の会」
南民戦救援会について
9 1980-86 生きて奴らにやりかえせ
半タコ・ケタオチ飯場、山村組闘争
キャバレードミンゴ闘争から皇誠会(金町)戦へ
映画『山谷 やられたらやりかえせ』
『山谷』上映運動の頃
山岡強一虐殺
【資料】全世界を獲得するために | 中山幸雄(全国日雇労働組合協議会)
語りを終えて | 中山幸雄
関連年譜
編集後記にかえて | 上山純二