思い出されることを思い出されるままに 映画監督ラナ・ゴゴベリゼ自伝
[2024年9月/四六判/466頁/]
著=ラナ・ゴゴベリゼ
訳=児島 康宏
発行=白水社
目次:
ラナ・ゴゴベリゼの家系図
ジョージアとその周辺
日本語版への序文
〈私は夜、追憶の微かな足音に 耳を澄ます道のよう……〉
バルノヴィ通り二十六番、ボヴィザージュ夫人とエリュアールの詩「自由」
子供の目から見たソ連の奇妙な暮らし
§ 母の短篇「幸福の列車」
伯父ラジデン-子供時代の崇拝と愛
§ 母の短篇「三色スミレ」
なぜか「バブ」(おじいちゃん)と呼ばれていた祖母エヴドキア
§ 母の短篇「二度の変貌」より(一)
運命に結びつけられた二つの家族
§ 母の短篇「二度の変貌」より(二)
恐怖政治への応答としての「ジョージア人の陽気さ」
第二次世界大戦、エドガー・アラン・ポー、『ギオルギ・サアカゼ』、パアタの首
戦時下のピオネール宮殿-ソ連の暮らしにおける一つの逆説
私を監視していた秘密警察員
詩作という伝染病
§ 母の短篇「ペチョラ川のワルツ」
初恋
終戦、私の「恩赦」と特殊売店の白パン
§ 母の短篇「アズヴァ・ヴォムからコチマスまでの徒行」
母
父
私の大学、山の発見
ウォルト・ホイットマン、あるいはシャルヴァ・ヌツビゼはソ連の検閲をいかに欺いたか
ラド
モスクワ、全ソ映画大学、ゲラシモフらとの出会い(ブーロフ、ミコヤン、セルゴ・ロミナゼ)
地下出版物-明かした夜、アンナ・アフマートワ
パステルナーク
スターリンの死
私のモスクワの友人たち、母の三人の「囚人仲間」
シャルマン
セルゴ・ツラゼ-パリから来たジョージア人
映画人生、検閲、禁止……、そして私の初期の作品
60-70年代-ジョージア芸術の発展期、映画祭、ジョージア訪問を許されなかったフランシス・フォード・コッポラ
パリ、一九六九年、覚書
再び映画人生、中央委員会第一書記との面会も
イタリア、一九七四年、覚書(フェリーニ、アントニオーニ、ザヴァッティーニと)
タゴールの故郷で、サタジット・レイとの面会
セルゲイ・パラジャーノフ、ムタツミンダ地区の彼の驚くべき家を我々はいかに失ったか
『インタビュアー』、サンレモ映画祭、ラドの死
ジョージアは言語を守った
新しく得た友人たち
テンギズ・アブラゼの『懺悔』
『昼は夜より長い』、一九八一年、覚書
映画祭–ベルリン、カンヌ、東京、リオ・デ・ジャネイロ
『ペチョラ川のワルツ』-過去との決別
1989年4月9日
〈死の道も薔薇色の道にほかならない……〉
独立の夜明け、メラブ・ママルダシヴィリ、またもや敵探し
1994年、覚書
欧州評議会、すなわちヨーロッパでのジョージアの大いなる挑戦
結び
訳者あとがき